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自己の美意識

飲酒運転による事故が多発し、それでも飲酒運転が減らない

これだけ取りざたされている状況で、ニュースも様々な視点から取り上げている

こちらのニュースや、またはトヨタや日産が呼気中のアルコールに反応してエンジンのかからない自動車の開発を検討中、など

飲酒運転をしてはいけないというのは、判断力の低下と反射の遅れで事故を起こす可能性が高くなるから。

自分だけは大丈夫、などという過信で人の命を奪ってしまいかねないと言うこと。そんな天秤にかけるにはあまりにも結論がはっきりしているはずのことなのに、どうしてなくならないんだろう

もともと運転が下手な人間と、酒を飲んだ自分なら運転技術も判断力も同じくらいか、まだ自分の方が上だとそんな理屈で飲酒運転をしてしまう人もいる。

でもその理屈は、それを言った時点で既に飲酒運転の危険性を自覚していることになる。

車は便利で移動手段だけれど、同時に凶器にもなりえる。乗っている人間、運転している人間はそれを頭に入れていなければいけない

先日、ある映画を見ていて青の小型車(車種は伏せますね)が事故を起こしまして。とてものどかな事故で笑いを誘うようなものだったのだけど。もちろん運転している人は呑んでなんかいません。

上に書いた内容で言うなら、素の状態で運転に難がある人。

でも、その車が壊れた状況を見て、思わずドキッとしました

去年の、友人の事故を思い出してしまった。幸い友人は無事だったし、車が大破しただけで済んだのが不思議なくらいだったけど

そしてわたしは乗り合わせてもいなかったけれど。それでも、どきっとした

その後は笑えたけれど、あの一瞬は別物でした。条件反射

当事者でないわたしであの状況では、実際に事故に遭った友人は口で言っているよりもずっと気をつけているんだろう、と感じた

そんなのはわたしの勝手だけどね

たとえ、事故で無事であっても、命までは無くさなくても、恐怖心やいろいろなものは残るんだと思う

過信で、そういう風に誰かにそんな思いをさせたくない

そんな、自分の中の意識があるはずなのに、と思うのは、わたしがこれは何かを過信しているんだろうか

 

 

トヨタや日産の開発のニュースを読んで、そん辺に関係のある仕事をしている友人とも機会があって話をしたけれど。

ただ、これは無理だろうという

エンジンをかけるために一手間かけなければならないなら、その車を消費者は選ばない、買わない

それが標準仕様になるのであれば別だけれど、特異なものであるのなら、法定との兼ね合いももちろんだし、技術的な面ももちろんだが、それ以上に販売するメーカーの立場として商品にならないものは開発しないだろう、と。

それは、なるほどと思ってしまった

機械に頼らなければ、そこで規制しなければならないほど意識が低下しているのかとも思ったが、それも無理ならば、一人一人が改めて自分の中の良識と向き合ってほしいと思う

 

 

飲んだのであれば代行を頼めばいい。その場に一緒にいる人たちで出し合えばいい

いくらでも、飲酒運転をしない方法はある。

確かに、何でそんなことを他人に禁止されなければならないのか、という規則は時にある。

法律レベルの話になるとわたしも口をはさめないけれど、校則などではやっぱり、「なんでだめなの」と言われたら答えられないものだってある

「校則で禁止されているからダメ」なんて答えにならないもんね

でも、飲酒運転って、違う。何でダメなのか、むしろダメって言われるまでもなく自分で判断してその結論が出るようなたぐいのもの……だとわたしは思う

 

 

 

罪悪感もなく、飲酒運転をする人っているんだろうか

罪悪感を抱きながら飲酒運転をするのなら、代行を呼んでおいしくすっきり飲んでいた方がよほどいいと思うのに

 

 

答えは出ているはずなのに、それでも、この話題では話しても相手についに「そうだよな~」って、そこで終了できなかった経験もあるので、偉そうなことがかけないんだけど

避けられたかもしれない痛ましい事故が、減りますようにと、願うことしかできないけれど……

 

 

立て続けにこの手のニュースを読んでいたらついに書いてしまいましたよ

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

お友達の言う通り、全車種に義務付けならともかく、消費者に敬遠されること間違いなし。付け加えて言えば誤動作で飲んでないのにエンジンが掛からなかったときどうするか。アルコールセンサのような劣化するセンサで始動を抑制するのはかなりの冒険だと思いますが・・・日産やトヨタは製品化したいなんて言ってましたよね。(-.-;)
飲酒運転は減って欲しいですが、こういう機械に縛られるのも何となく嫌な世の中ですよね。

投稿: のりっく | 2006年9月19日 (火) 21時56分

ほんとうに、機械に縛られるというか、そういう制限をされなければ人間が信用できないってことなのかな、と寂しさを覚えました。
機械を作るのも人間なのにな、と。
運転は、自分もですが相手もあることですから……
自己過信と、相手のことも信用しているということなのでしょうか
信用するって素敵なことなんですが、なんとなく、この場合はとても都合よくそれを使っているような気がしてしまいました

単純なはずなのに、何でこんなに難しい問題になってしまっているんでしょうね。

投稿: ami | 2006年9月20日 (水) 08時48分

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